2006年10月 9日 (月)

エルミタージュ国立美術館①

<サンクトペテルブルグの歴史概要>
フィンランド湾に注ぐネヴァ川の河口に広がるサンクトペテ
ブルグは、18世紀初頭、ピョートル1世(大帝)によって造ら
れた人工都市です。
この都市を『ヨーロッパに開く窓』としてロシアは、近代化に
向けて変貌を遂げていきます。
ピョートル大帝により造り出された新都サンクトペテルブル
グを、ドイツ出身の女帝エカテリーナ2世が充実させました。
二月革命によりニコライ2世が退位する20世紀初頭まで
間、サンクトペテルブルグは、ロマノフ朝ロシア帝国の中心
であり続けました。
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<サンクト観光1日目>
宿泊ホテルから市内中心のカザン聖堂まで、シャトルバ

出て
いる関係で、本日の最初の目的地、エルミタージュ美術
館へは、
ネフスキー大通りを、旧海軍省に向けて歩いて行く
ことにしました。
ネフスキー大通りを文学喫茶で右折、旧参謀本部のアーチ
から宮殿広場の向こうに、碧色の建物エルミタージュ国立
術館が見えます。 
この『隠れ家』という名前を持つ美術館は、パリ ルーブル
術館、ロンドン大英博物館と並び賞される超一級の美術館・
博物館で
収蔵されている絵画、彫刻などのコレクションもさる
ことながら、現在は美術館として使われている歴代皇帝(ツァ
ーリ)の『冬の宮殿』であった建物の装飾もすばらしいものが
たくさん残っています。

ところで、日本の国立西洋美術館が、戦時に没収されていた
松方コレクションをフランスから返還されて、その基礎が作ら
れたように、美術品と国際政治力は深い関係があるようです。
エルミタージュ美術館にも、その痕跡が。

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下の写真は、ロシア帝国の国章『双頭の鷲』
これはイワン3世(大帝)が、オスマントルコに滅ぼされたビザン
ン帝国(東ローマ帝国)から、引き継いだもので、ギリシャ正教
ロシア正教として引継ぎ、ルーシ族におけるキリスト教最大の
庇護者の立場を確立します。

ちなみに、日本人がギリシア人と結婚するためには、まず
ロシア
に行って洗礼を受けて後、ギリシアに行って、ギリシ
ア正教徒に
なる必要があるようです。

シドニー在住のギリシア人・日本人夫妻から聞いた話です。
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エルミタージュ国立美術館②

美術館の中庭を通って、チケット売り場へ。 この中庭、
ただ通りすぎてしまうのには、もったいない感じです。
ベンチがいくつかあって、鑑賞前・後の休憩をしている
人達がいました。
 
ガイドブックには『美術館は歴代皇帝の住まいであった
冬の宮殿と4つの建物が廊下で結ばれている構成に
なっており、部屋数は1050、総面積46000㎡』と、書
かれています。 
この広さでは、休憩場所が、やっぱり必要です。
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メインの展示室へ進むには『大使の階段』を上ります。
皇帝の冬の居城であった『冬宮』に招かれた各国大使が
ここを通って、2階へ上がったことから、この名前がついた
ようです。
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一番下の写真の所だけ、明かりがついていました。
階段全体に明かりが灯っていれば、さらに、いい雰囲気に
なると思いませんか?
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エルミタージュ国立美術館③

将軍の間には、豪華な馬車が。
  
ところで、私達が美術館を訪れた時期、馬車は両国の江戸
東京博物館のエルミタージュ美術館展に貸し出されている
はず、と思ったのですが。
 
よくよく考えてみれば、皇室が馬車を一台しか持っていない
わけはない、ということでしょう。
 
それにしても立派です。
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ピョートル大帝の間は、
  『大帝に捧げる広間として19世紀に設けられた。
   銀製の玉座は18世紀ロンドン製である』

というような説明を、各部屋に、英語で書いておいてくれたら
とってもうれしいのに、、、と思う今日このごろです。
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ピョートル大帝の間の隣が『紋章の間』(写真上)
ここから玉座の間につながる廊下が『祖国戦争の画廊』です。
(写真下)
1812年ナポレオン軍と戦いに従軍した332名の肖像画が、
赤い両壁に飾られています。
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